数学入門: 第13章フィードバック
「ライブ講義 大学1年生のための数学入門」を使った学生・読者の反応と, それに対する著者からのフィードバックです。
ポイント
排反かつ独立である事象はほぼ無い。一方の事象が∅である場合は例外である。
事象は試行の結果として起き得るできごと。サイコロを1回ふるという試行における事象は「1の目が出る」「2の目が出る」…「6の目が出る」の6つだけでなく他にもたくさんある。各目が出るか出ないかを考えて2^6=64個ある。そのうち「1, 2, …, 6のどの目も出ない」事象を空事象, 「1, 2, …, 6の全ての目が出る」事象を全事象という。
連続的確率変数では「確率分布は実現値と確率の対応関係である」という考え方が使えない。実現値に幅をもたせて確率を定義するのが連続的確率変数の確率分布の考え方。
XとYが互いに独立な確率変数である時, $V[X+Y]=V[X]+V[Y]$。これは大事な式。どの本にも載っている式だが, その重要性を強調する本は少ない。
期待値は線型写像である一方で、分散は線型写像ではない。
誤差伝播の法則は各測定どうしが独立であるとき、複数の測定値の和の誤差の2乗は各測定値の誤差の2乗の和になるというものであり、この考え方は三平方の定理に類似している。これは各測定どうしが独立であるとき誤差が互いに打ち消し合うからであり、確率分布は必要としない。
質問
63個では? 「何も起きない」という「空事象」は「起き得ない」のだから事象ではないのでは?
答: そういう意味では「事象は試行の結果として起き得るできごと」という定義が不正確である。“起き得る”は起き得ないことも含んでいる。正しくはこういうこと: まず, 「試行の結果として起き得るできごと」のうち, それ以上分割できないできごとを「標本点」という。標本点の集合を標本空間という。サイコロの例では, 1や2は標本点で, {1, 2, …, 6}が標本空間。そして, 標本空間の部分集合を事象という。これが正確な定義。空集合はどんな集合の部分集合でもあるので, 標本空間の部分集合としての空集合は空事象。サイコロの例では7は標本点ではないので, {7}は事象ではない。空事象と{7}はともに起き得ないが, 前者は事象であり後者は事象ではない。
事象と集合はある程度対応しているが、実際同じ物ではないのだろうか?
事象は一種の集合です。きちんと言えば, その全体集合を「標本空間」といいます。標本空間の要素を標本点と言います。標本点は, まあ根源事象のことと思ってOKです(正しく言えば, 標本点1つからなる集合が根源事象)。標本空間の部分集合が事象です。しかしこれらの用語は標本調査の用語とまぎらわしいし, 過度に形式的なので, 初学者はスルーでOKです。確率論の本格的な教科書にはこういう用語が出てきます。
教科書の統計的確率の項目で降水確率の話が記載されていたが、「降水確率が0%である」というのは「0%の予報が100回繰り返されたとき約0回の降水がある」と考えるものとするとき、この考え方も時計の秒針の事例と同様の考え方をし、確率としては0である一方現実としては起こりうると考えても良いのだろうか?
いえ, 降水確率は0%, 10%, 20%, …のように10%刻みで発表されるので, ざっくり言って「10 %よりはしっかりと小さい」と解釈するのが妥当だと思います。
発展的内容
厳密に言えば, 確率は事象に0~1の値を与える写像である。数学の用語を厳密に使って正しく言えば, 標本空間の部分空間からなる集合(集合族)から実数の区間[0, 1]への写像(関数)。しかしそういう形式的な表現にはこだわらず, 単に「事象に0以上1以下の数値を与える写像」でOK。
教科書で扱っているのは数学的確率と統計的確率だが, 前者は同様の確からしさの原理が成り立っている時, 後者は試行を複数回行える時のみ定義できるもので、いついかなる時も通用する確率の具体的な定義は存在しない。そこで現代では確率は最低限のルール、即ち公理を満たすもの全てを指すとされており、これをコルモゴロフの公理的確率と呼ぶ。これはある種の「あきらめの境地」。いくつかの公理をみたすなら何を確率と呼んでもよい, という立場。それぞれで決めた確率が妥当かどうかは数学の外の社会の価値観で判断する。
統計は多くのデータ(数値)を扱うが、それを並べると(数)ベクトルであるから、統計学と線形代数は相性がいい。誤差伝播の法則「各測定値の誤差の2乗の和」はn次元ユークリッド空間における線型代数の考え方と非常によく似たものであり、統計学と線型代数の深い関連性が見出せる。
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